2020年08月08日

懐かしのツール・ド・新潟パート1

 昨日はぼちぼち新しい気持ちで営業できたと感じた。今日も
ぼちぼち動くのである。

1992年8月1日。自分はどこにいたかというと・・・

今から28年前。尾崎豊が亡くなった年なのである。

♪盗んだバイクで走り出す〜は15の夜。話を戻し、1992年
8月1日の西日がおちるころ、自分はママチャリをお借りし?

新潟の夜の街をママチャリで駆けていたのであった。途中暴走族に
からまれそうになり必死でママチャリでかけるあの夏の日の夜。

たしかに校舎の裏に逃げ込んだな・・・これはまじな話だな

♪自分の存在がわからず・・・

貯めた30万円を握りしめ、新潟競馬場の最終レース。電光
掲示板にならんだ番号は111、1−11で111,170円
の馬連配当。残ったお金300円、はてどうしたものか。

今もこうして生きてるということは、今でも人の温かさを痛感
したこともないだろう。

命をつないだのは、露店で買った2つの桃でありました。今でも
桃を思うと感謝の念しか浮かばない。

先日のことなのだが、三浦春馬さん、とても人気の俳優が、まさか
尾崎・・・いや違う人だから

このブログもこの「クールのひとりごと」のタイトルでは最後の
夏。あしかけ12年。新潟の長岡の花火、3尺玉のしだれ柳の
ようになにか思い出に残るようなものにしておきたいところが
ある。

きしくも似たような場面が今年用意されているような気もする。

1992年8月1日最終レース。勝った馬の名前は、「ブランド
パンドラ」11番人気。

どういうパンドラの箱になるのだろうか・・・28年前と同じ
にはしたくないな〜と考える。

今日もぼちぼち「GOGO」なのである。
posted by クール at 05:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする